テキスト関係の物をおいていきます。
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僕は小さい頃から演じるのが好きでした
小学校の頃、学芸会で主役をやらせてもらった時はとても高揚してしまったのを今でも思い出せます。
そして、いつしか僕は練習の域を超え、私生活までその役になりきってしまっていたのです。
世の中にはキャラクター、と呼ばれる人格が多々と存在し、中にはその人格に憧れ、その人格の役になりきった演者も居るはずです。あの人になりたい。あの喋り方がかっこいい。…誰しもが一度はそうおもうはずです。僕がそうであるように。
そしていつしかそれを自分自身の性格として身に着けている。だけれどそれはあくまでモノマネであり自分自身ではないのではないか、では本当の自分はどんなヤツなのか。あの人の話し方上手だな、あの人のあの部分を真似よう……そんなことをして僕は人と無意味に衝突してしまう危険を回避していたのだと思います。しかし、本来自分だったらどうしていたかを思い出せない。……高校2年になった僕は気がついてしまったのです。僕自身が「僕」を忘れてしまったことに。
きっかけはいつも「自分は誰かを演じてるだけではないだろうか」という焦燥に駆られているときでした。ひとつの本が目に入ってきたのです。太宰治の”人間失格”。皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。このとき見たのは漫画化されていたものですが、僕はこの本を軽く読んで葉蔵が自分と同じではないか、自分を見失っているのではないかと思ってページを進めて行ったのです。しかし、ここでまた頭に疑問符が浮かび上がります。「ここで葉蔵を知ったとして、僕はただ単に葉蔵という役になりきってしまうだけではないのか」と。結局何の解決にもなってないのではないかと。僕は気がついたら本を閉じていました。
僕は、一体なんなのでしょうか。落ち込んだときに陰のあるように見せるのは自分でしょうか。人の気を引く為に明るく振舞うのは自分でしょうか。どうしても僕は自分自身がどんなヤツなのかわからないのです。僕の口から出てる言葉は本心でしょうか。この言葉自体、ここでこう話してる自分は本音で話してるのでしょうか。
ここに在る僕と言う存在は何者なのでしょうか?
僕には今「貴方達」というトレース先しか居ないのです。
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